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永い眠りにつきました

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ここ数日、このブログを開いては閉じ、なんて書こうか考えてはやめ、どうしても更新する気になれませんでした。

でも、やはり報告しないわけにはいかないので書きます。

九月七日未明、愛するつみれがこの世を去りました。

原因は今となっては分かりません。

でも、状況から考えると恐らく心臓ではないかと思います。

前日まで元気で、ごはんもおやつも普通に食べて、少なくとも私にはいつものつみれと何も変わりなく思えました。

午前3時過ぎ、早朝のウェットフードの時間、最近よく寝ている高いところから降りて来ないので呼びかけても反応がない。

はみ出していた脚を握った瞬間、もう命の灯が消えていることがはっきりと伝わりました。

のぞき込んで初めて見えたその姿は、撫でれば伸びをして喉をゴロゴロ鳴らしそうな、眠っているいつものつみれそのものなのに、全く動かないという受け入れ難い状況。

何が起こったのか理解が追い付かず、『なんで!?』『いつ!?』『嘘だ…!』というようなことを叫びながら泣き続けていたことをうっすら覚えています。

安らかなその顔からおそらく苦しんではいないだろうということ、まだお腹の下がほんのり温かみを帯びていたし、オシッコがマットに染み込んでいなかったから、そんなに長くひとりにしていないだろうということ、そんなことをかき集めて慰めにするしかない。

あまりに突然で、早すぎる最期でした。

 

まだこの家に来て一年も経ってないよ。

まだまだ一緒にやりたいことがあったよ。

つみれの好きなウェットフード買いだめしたばかりなのに。

よく失敗するトイレ、対策したのにまだ使ってくれてないじゃない。

なんで、こんなに早く、なんの心配も看病もさせてくれないまま逝ってしまうの。

こんなお別れあんまりだよーーー

 

本当は何か異変が現れていたかもしれない。

太り過ぎだったかもしれないし、運動不足でもあったと思う。

この家に来てからやることが色々で、猫たちのことをおざなりにしていたかも。

アパート時代より環境が良くなったと思い込んで、もうみんないい大人だからそんなに遊ばないなぁといって、遊んであげることが少なくなっていた。

つみれが好きだった青い紐も、今になって棚の後ろに落ちていた事に気づいたよ。

猫ファーストとか言って、ひどい親だね。

君たちがそばにいてくれることの幸せにあぐらをかいて、当たり前だと思って、いろんなことを見逃してきたと思う。

腕の中で最期を迎えさせてあげたかった、それを私たちも望んでいたのに。

ごめんね。

 

あまりに大きな代償を払って、自分たちの愚かさに気づきました。

今は、残された子たちのことを全力で守って、つみれの分も幸せにしてあげないと、という気持ちでいっぱいです。

アビーはあまりいつもと変わらないように見えますが、ママモードになる時間が減ったからか、甘えん坊度が増しているような気もします。

なるとは、つみれがいなくなった最初の夜、明らかにつみれを探していました。

目が覚めていつものようにつみれを舐めようとリビングに来たのにいないので、つみれのお気に入りの場所を次々と覗き込んでいる…。

その姿に、『つみれはいないんだよ…』と申し訳なさで涙が出ました。

ちくわはつみれとはそりが合わなかったけど、やはりずっと一緒に暮らしてきた兄弟が欠けているという状況に感じるところはあるようで、どうも様子がおかしい。

顔を合わせると小競り合いをしていても、それは大切なコミュニケーションのひとつだったんだね。

つみれは体が大きいうえに声も大きかった。

よく遠吠えのように鳴いていて、テレビが聞こえないほどうるさいときもあったのに、今は家の中が静かすぎて、あの子の存在がいかに大きかったか思い知らされています。

3兄弟が茶トラの2兄弟になってしまったんだ…と実感したとき、なんとも言えない寂しさが襲ってきました。

ピースがひとつ欠けただけで、こんなにもバランスが崩れてしまうのか…。

あの日のショックが月日とともに多少和らぐのに反して、どうしようもない喪失感に襲われて涙が溢れてきます。

心にぽっかりと空いた大きな穴は一生埋まることはないし、何をしていてもこの穴の奥から吹く風で胸がいっぱいになって、大きなため息になって漏れてくる、そんな感覚。

ここにあの子がいたらな、そんなことばかり考えてしまいます。

 

つみれがいなくなってものすごく寂しい。

でも、つみれからもらったたくさんの幸せ、楽しかった思い出、それらを全て悲しみで覆い隠したくはない。

つみれはみんなやママがいて幸せそうな、可愛い姿のまま記憶の中で生き続ける。

いつか笑いながら写真を眺めて、思い出話ができる日が来るかな。

そのときは心からつみれにありがとうと言えるのかもしれない。

 

つみれはもういない。

そのことを受け入れるのはあまりに辛く、今はつみれに手を合わせたり祭ったりする気持ちにはどうしてもなれないわが家には、まだ祭壇などはありません。

骨壺は常にそばに置いてあるし、姿は見えないけど今でもみんなと一緒に過ごしていると思って生活しています。

トップのお花は頂いたもの。

つみれに似合っているな、と思って隣に飾らせていただいています。

つみれのことを考えたり写真を見たりしているとどうしても涙が出てくるのでちょっと時間がかかるかもしれませんが、つみれがいなくなったわが家のこともちゃんと書いていくつもりです。

このブログは猫たちとの歴史が詰まった、つみれが生きた証でもあるので。

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